ついに入院。いや、やっとか…後編

おはようございます。

4月11日、身内が入院した。

前半までのあらすじは、ついに入院。いや、やっとか…をご覧ください。

この記事は要点だけのところや、事実確認の為、内容を大幅に変更することがあります。

救急車呼んでくれる?

リビングで寝かしつけたのが、昼の12時過ぎ。

寝室でなくリビングなのは、本人に問題があって部屋がつかえない為、普段からリビングが部屋になっている。他の身内にとっては迷惑でしかない。

部屋で自分の用事をしていると、14時前くらいだったか、いつもの様に呼んでいるので向かうと『救急車呼んでくれる?』と言うので他の身内にも報告すると、本人と少し話した後に呼ぶことになった。

呼んでくれている間、ウボォーは本人対応や準備をした。

本人は『一切動けない』と言う。

病院へ~待ち時間は超ながかった~

今回は本人の意識があるし、掛かりつけの病院も受け入れてくれたので、すんなり搬送された。この時は入院するかも分かっていないし、他の身内の帰りのことも考え、車で向かうことに。

病院到着後、本人の検査待ちだったが、呼ばれるまでがながかった。検査以外に月曜日であったことや、コロナが関係していたのだと思う。

本人以外が呼ばれて検査結果の説明を受けた。説明してくれた先生は、救急の先生44歳で初見だったが、すぐにパッションを感じた。

人によっては抵抗があるくらいの物言い。身内本人の状態が悪い分、くぎを刺してくれていたと思うから、それは余計に感じられた。

だがそんなことは身内が一番分かっている。分かっているが、本人は誰の注意警告も聞かないし、聞こうともしない。だからウボォー以外の身内関係者は、以前から入院を望んでいるが、本人の生命力でこれまでは入院にならなかった。とっくに亡くなっていてもおかしくない様な生活を、少なくとも10年以上続けている。病気だ。診断されている以上の。

身内関係者が事情を説明し、先生に入院扱いにならないか相談した。

パッション先生は、検査結果から『亡くなってもおかしくない』と言っていたが入院扱いにはならないことや、福祉施設ではない為、本人にその意思がないのに入院させることはできないと強い口調で話してくれた。

もっともだ。

身内関係者は、それでも下がらずに相談した。すると先生は『本人と話してみましょうか?』と言ってくださった。

そこから本人を同席させて、これまでのことをまた初めから説明してくださった。本人の対応を見て、入院を検討してみましょうという流れになった。

本人は、検査や処置の続きで連れて行かれた。

先生は、蜂窩織炎(ほうかしきえん)で皮膚科の先生に繋いでくれようとしたが、不在だった為、腎不全や肝機能障害の危険性を理由に内科へ掛け合ってくださった。

これが受け入れてもらえることに。

 

後は、検査や処置の点滴で再度先生に呼ばれるまで待つことになったんだけど、この待機時間が本当にながかった……

周りにも待っている方がたくさん居て、看護師の方や先生も忙しそうだった。説明してくれた先生は、救急の先生だったからか、胸元の電話が鳴る度に対応していた。再度先生が話してくれる時も、序盤で電話が鳴り、それっきり帰って来なかった。だけど本当に大変な中、ありがたい限りだ。

その後は病棟を移って、入院に関する説明を受けた。帰る頃には21時だった…

 

ついに入院。いや、やっとか…を書いている時に分かったこともあると言っていたのは『大腿骨頸部骨折していた』ということ…

そりゃ歩けないし、痛いよね……^_^;

分かったその日の夜に緊急手術(通常なら時間外らしい)

術後の今も、トイレにも行けず入院中だ。